徳島発 幸せここに⑤「思いそれぞれ」

2015.10.05

県からのお知らせ

2014年、美波町で起きた現象が周囲を驚かせた。転入から転出を引いた社会動態人口が6人増しとなり、06年の町合併以来、初めてプラスに転じた。毎年数十〜百人以上の社会減が続いていた町に起きた異変は、美波への注目度を高めた。

12年のSO初進出以来、3年間で町内のSOは12社に増えた。

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今年6月末には乳児連れの一家3人が移住、8月にゲームアプリ制作会社「スパゲッティー」を起業した。八幡洋一さん(28)美也子(36)夫妻と生後9ヶ月の長女愛菜ちゃん。それまで東京・池袋で暮らし、仕事をしていた。しかし、時には発砲まであるような喧騒の街からの脱出をいつしか考えるようになった。

「マリンレジャーに興味があった。静かな海辺で、仕事に必要な高速通信環境が整っている所が案外少なくて、一時はくじけた」と洋一さんは話す。田舎暮らしが注目される中、美波の存在を知った。

大浜海岸まで徒歩2分の空き家を借り、居宅兼事務所に。働く場、教育などさまざまな要素で離れていく人が多い地域の中で、逆にここがいいと移り住む夫妻は、地域住民に美波の魅力をあらためて気づかせる存在だ。

「県民の歌って知ってます?」取材中、洋一さんから尋ねられた。「もちろん。さわやかさ〜」。一節、口ずさむと「すごい、本当にみんな、この歌知ってるんですね」と驚かれた。

洋一さんは、町内の無線放送で合唱団の募集をしているのを耳にし、参加を決めたとのこと。コンサートで歌う曲の中に「徳島県民の歌」があるらしい。ちょっとしたカルチャーショックを楽しみながら、地域の一員として一歩を踏み出した。

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9月12日、漁師町、恵比須浜地区の一角でIT起業「鈴木商店」(大阪市)のSO「美雲屋」の2周年感謝祭があった。地元住民、町内のSO関係者ら多くの人が詰め掛けた。

SOの責任者、小林武喜さん(39)は小中学校からの幼なじみ、鈴木史郎社長(40)に誘われ、同社に入った。しかし、誰とも話さない日が続くなど、都会での働きぶりが次第に小林さんを疲弊させた。出社できない日が続くようになり、6年後に退社した。

鈴木社長は「猛烈に反省した。会社の成長が全てと考えていた。人が120%の力を出せる環境をつくるのが僕の仕事だと気づかされた」と振り返る。

SO開設を決めた鈴木社長から声を掛けられた小林さんは「大好きなサーフィンを楽しみながら、ウェブデザインの仕事を続けられる。ここなら自分らしく生きられる」と美波行きを快諾した。

波があれば、連日、海へ。なじみの漁師のイセエビ漁も手伝う。祭りにも参加する。阿波踊り連にも入った。今年6月には大阪の恋人と結婚、披露パーティーを美波で開いた。漁船で新婦が登場するなど、住民も参加し、大いに盛り上がった。

SO開設以来、小林さんを見守ってきた漁師の粟田義孝さん(62)は「自分らの町を好きになってくれる若い人がいるのは嬉しい。楽しんどる姿を見とるだけでわしらも楽しいしな」と目を細める。

心地よいサーフミュージックがサーファーに人気の阿南市の男性2人組・Osumiking & Shinoyangによるライブが感謝祭に花を添えた。

♫好きなことをするために生きてる〜

SOに集う人の生きざまを歌ったかのような詞がある。2人の声に合わせ、小林さんらが声を張り上げる。この日、最高に盛り上がった瞬間だった。

(徳島新聞 2015年10月5日)